駒の運動〜魂柱の役割

1996年6月2日 ドイツ・ヴァイオリン製作マイスター 佐々木朗

1・駒の運動原理を知るメリット
 ヴァイオリンにおける駒は、複雑で、そして神秘的です。そして技術面(製作、修理、調整)においても、駒周辺の技術は核となるでしょう。従って、駒の運動原理を知ることによって、これまでは経験でしか理解していなかった事柄も、実際の動きとして「見えてくる」のです。すなわち、「原理」が判ることによって、次の行動の予測がつくのです。
 駒の運動原理を理解することによって理解できる現象は多くありますが、その中で特に重要なことは「魂柱」と「バスバー」との関わりでしょう。今回はこの2例についても共に述べます。
2・駒の運動
 一言で述べるならば、ヴァイオリン族の駒とは「弦の横振動を、縦振動に変換する装置」です。そしてこれは他の弦楽器に見られない、珍しい構造なのです(注1)。もしもこの駒(振動変換装置)が無いならば、弦をいくら弓で擦っても、板は振動しません。すなわち音はほとんどでないのです。しかし、この一見単純な構造の駒(+魂柱+バスバー)を立てただけで、弦の振動は縦方向に変換されて、表板を振動させます。
低域弦の場合 
 この振動変換機構は、特に低域弦において効果的に働きます。逆に言うならば、E線等の高域弦においては、あまり効果的に機能しないのです。というのは、E線の真下に支点(魂柱)が置かれるので、E線をよほど強く横振動させないと、そう簡単に駒が回転運動をしてくれないからです。これではE線の音が出なくなってしまいます。そこでこれまで述べた原理の他に、もう一つの原理がくみ合わさっているのです。
高域弦の場合
 高域弦の振動を効率よく表板に伝えるためには、先に述べた「駒の回転運動」にあまり頼ることはできません。そこでE線(高域弦)の場合には、その伸縮による張力を駒に伝えてることで表板を振動させているのです(注2)

3・魂柱調整への応用
 これまでの事から、駒がどのような動きをし、そしてどのような働きをしているかが分かったと思います。そしてこれらの事が理解できると、魂柱を動かしたときの音色の変化をある程度予測できるのです。または、音色の変化を説明できるのです。
 魂柱を動かしたときの音の変化を予測するためにはまず、「佐々木朗 ヴァイオリンの発音特性の原理」レポートを読んでください。これは要約すると「駒を動かしにくくするほど、音色は甲高くなる」というものです。次に必要なものは「テコの原理」です(注3)。これは「支点と力点の距離が長ければ長いほど、軽い力で動かせる。しかしその場合、動く大きさはわずかだけ」というものです。

魂柱を極端に楽器の中心部へずらした場合




これは支点(魂柱)と力点(弦位置)の距離が短くなったことと同じです。こうすると駒は軽い力では動きません。その上、魂柱の立つ位置の真上にあたる弦が振動しにくくなってしまいます。従って、もしも魂柱を奥側へ立てた場合には、音色のキャラクターは「低域側の音は甲高く、各弦の音色、発音特性のばらつきが大きく、そしてE線の音に張りがない音」という傾向になるでしょう。音量自体は大きくなるはずですが、しかし各弦の発音特性にかなりのむらが出るででしょう。

魂柱を極端に楽器の外側へずらした場合

 


魂柱を外側に立てると、支点と力点の距離が大きくなります。従って、弦は軽い力で駒を回転運動させることができます。これはすなわち、音の発音がなめらかになるということを指します。
 各弦のバランスも良いです。しかし駒の回転量はごくわずかになってしまうために、音量はなくなってしまうでしょう。 まとめること、このようなセッティングでは、「各弦の音色にばらつきはないが、全体的に音に張りが無く、音量感も小さい」というものでしょう。

魂柱を駒に近づけた場合




 魂柱、すなわち「支点」を駒に近づけることにより、駒の振動を大きく増幅して、表板を振動させることができます。しかし逆に言えば、駒は素直な振動をにくくなります。こうすると高い倍音成分が出やすくなります。
 この音色のキャラクターは、「音量感がある反面、音色が甲高くなりすぎ、またバランス的にむらが出やすい。」というものでしょう。

魂柱を駒から離した場合

 
魂柱、すなわち「支点」を駒から遠ざけるという事は、駒がより自由に(素直に)振動できるようになるということです。しかしそれとは反対に、駒の振動はあまり増幅せず、表板を大きく振動させることはできません。これは「テコの原理」を思い出していただければ想像できることでしょう。
 このような場合の音色のキャラクターは、「発音特性は素直で、音は柔らかい。しかし音量は弱く、また、音に張りがない。」という感じでしょうか。
 新作楽器は古い楽器に比べて、魂柱を駒から離して立てることが多いです。これは新作楽器がその木材の発音特性から、甲高い倍音成分が出やすいからです。すなわち、古い楽器よりも(耳元で聴いた場合に)少々ヒステリックになってしまうのです。従って、魂柱の位置を駒から離すことによって、「より柔らかで、素直な発音」に調整しているわけです。

4・まとめ〜モデル化
 今回のことで、駒がいかに複雑でかつ重要な運動をしているかが理解できたかと思います。もちろんこれを物理学的に説明することはても複雑で、このような単純な説明では多くの矛盾も出てくると思います。しかし専門的論文でなければ、これで充分でしょう(あまり細かいことにとらわれていると、全体像が見えなくなってしまいます)。
 駒の運動が理解できると、これまでは「ブラックボックス」だったヴァイオリンの心臓部分が見えてきたことと思います。そしてそれによって、これまで自分の行ってきた「経験的行動」の説明付けや、またはこれからの具体的な行動目標が立つのです。すなわち、遠回りせず、そして的を得た製作なり調整ができるのです。これは今回の「駒の運動」に限ったことではありません。全ての現象に対してこのような「モデル(注4)」を考えることによって、その現象は単なる自分だけの「印象」ではなく、目に見えるものとなるのです。一旦目に見える形(=モデル)に置き換えられた「印象または現象」は、時が経っても忘れてしまうことはありませんし、いつでも客観的に見つめ直すことができるのです。これは最も大切な事であり、そして遠回りをしないための秘訣です。


注1:例えばギターの場合には、このような振動変換装置はありません。それではそのようなギターにおいて、どうして音が出るのでしょうか。それは、ギターの弦は、一見横方向にはじいているようですが、実際には縦方向にはじいています(正確には斜め方向)。従ってヴァイオリンのような「振動変換装置」が無くても、音が出るのです。このことはギターの弦を真横に摘んで放したときに、ほとんど音が出ないということから簡単に説明が付きます。
注2:東工大名誉教授 故西巻正郎先生の指導論文参照。この振動変換の特徴は、2倍音成分が最も大きく出るということにあります。
注3:現実の振動において、「テコの原理」が理論的に当てはまるわけではありませんが、イメージ的にはちょうど当てはまるのであえて利用しました。実際には「機械インピーダンス」という考え方をしなければいけません。
注4:「モデル」を考えるとき、それは別に正式な物理学でなければならないということはありません。自分なりの考えでよいのです。しかしそれは、目で見ることができ、そして理論に一貫性がなければなりません。