マイスターのQ&A

ドイツ・ヴァイオリン製作マイスター 佐々木朗

Q:糸倉の中でA弦がD糸巻きに接触して切れてしまいます。

A:これは特にヴァイオリンに多い事なのですが、ヴィオラやチェロでも起こることです。今回はヴァイオリンを例にとって説明していきましょう。
 この弦切れの原因を簡単に言ってしまうならば、糸巻き穴の位置が間違っているために、D糸巻き(3番弦糸巻き)とA弦が接触してしまって弦が擦れて切れてしまうのです。この接触の度合いが酷い場合には、弦がほつれたり切れてしまうトラブルが生じます。また、接触の度合いが酷くない場合でも、チューニングがうまくいかないなどの不具合が生じることもあります。
 しかし、このトラブルは糸巻き穴の位置自体に問題がありますから、簡単に修理することはできません。糸巻き穴を一旦埋め直してから、正しい位置に空け直さなければならないからです。また、楽器のネックの形によっては、正しい位置に糸巻き穴を空けられないということもあるのです。従って場合によっては、若干の接触ならば許容範囲として使わなければなりません。
 さて、まずは弦と糸巻きの接触が起きるのかを説明してみましょう。

糸巻き穴の位置がおかしい場合
 糸巻き穴は新作楽器の製作時だけでなく、後年の修理(継ぎネック修理、糸巻き交換修理)の時にも空け直されます。新作製作時から既に糸巻き穴がおかしい楽器も多いですし、また、修理の時に変な位置に糸巻き穴を空けてしまってトラブルが生じてしまうこともあります。この様な楽器は結構多いものです。下写真のヴァイオリンも、これまでに変な位置に糸巻き穴が空けられ、それが何度か埋め直された痕跡があります。
 糸巻き穴の間違った位置としてよく見受けるのは、D糸巻き(3番弦)の穴の位置が高すぎるものです。また、それに付け加えて、A糸巻き位置が僅かに下すぎるものもあります。この様な場合には弦が接触するトラブルが起きてしまうのです。しかし、話はそれだけの単純なのではありません。幾つかの要因を含んでいます。次にそれを書いてみましょう。

糸倉の設計自体が間違っている
 ヴァイオリン製作において、糸倉(ペグボックス)の設計理論自体を知らない製作者もずいぶんいるものです。糸倉を設計するときに、単純にデザイン的に設計してしまっているのです。この様な糸倉の場合に、上記のようなトラブルが生じることが多くなります。本来の糸倉の設計は、まずは弦、糸巻き、指板、オーバーザッテルの配置からスタートします。そしてその周りに肉付け(糸倉の輪郭)が施されるのです。
 古い楽器(それが名器であっても)が作られたころは、まだこのような要因は一般的ではありませんでした。従って、中にはかなり無理なデザインの糸倉も多いのです。その様な楽器(名器)を単にデザインの手本にしてしまうと、必然的に今回のようなトラブルが生じてしまうのです。
 下のイラストは設計理論的にあまり良くない輪郭のものです。このようなデザイン(輪郭)に普通に糸巻き穴を空けると、どうしても糸巻きに弦が接触してしまってしまうのです。本来の糸巻き穴の位置は「赤丸印」の位置、すなわちかなり低い位置でなければなりません。

糸倉の底面が厚すぎる
 これも多いです。技術力の低い製作者の場合や、または正しい糸倉設計の認識がない製作者の場合には、どうしても糸倉の底面が厚くなってしまっている場合が多いのです。というのは、この部分を厚すぎず、もちろん薄すぎずに削るのはとても難しい技術を必要とします。最悪の場合にはせっかく完成したネックを突き破って、台無しにしてしまうこともあるからです。従って、この部分を厚めに残している楽器も多いのです。
 上のイラストの下図を見てください。本来の糸巻き穴の位置は「赤丸」の位置なのですが、これでは糸倉底面に接触してしまいます。従ってこの様な楽器の場合、どうしても糸巻きを上位置に空けてしまうのです。しかしその結果、A弦とD糸巻きとが接触する確率がずいぶん増えてしまうのです。
 事実私も、糸巻き交換時(糸巻き穴埋め、再空け時)に糸倉の底面を薄く削ることはよくあることです。そのくらい、糸倉の底面が厚すぎる楽器は多いです。確率的には、糸倉の内部の仕上げがきれいな楽器の場合には正しい底面の厚さをしていますが、糸倉の内部が乱雑な仕上げの楽器の場合には底面も厚すぎなことが多いものです。それは当然といえば、当然かもしれません。
正しい糸倉の設計の楽器
 下イラストを見てください。正しく設計された楽器の場合、糸巻きの配置が自然であっても、糸巻きと弦が接触することはありません。但し、僅かに触れる程度でしたら問題はありませんので、あまり神経質になってはいけません。

対処方法
 先にも述べましたように、根本的な意味での対処方法は糸巻き穴を一旦埋め直し、正しい位置に空け直すしかありません。しかし、糸倉の形の問題、底面の厚みの問題、またはA糸巻き(2番糸巻き)穴に割れがあった場合など、話しは簡単ではありません。
 また、糸巻きを1本だけ交換するのか、それとも全てを交換するのかも問題です。または指板(ネック)が下がりすぎていて、近々に継ぎネック修理をすることが予想されている場合には、安易に糸巻き穴を埋め直すことは良くありません。というのは、継ぎネック修理の時に、嫌でも糸巻き穴を埋めて、再び空け直さなくてはならないからです。従ってこの様な場合、継ぎネック修理の時まで我慢して、その時に糸巻き穴の位置も修正するというのが正しい対処方法なのです。
 また、接触の度合が軽度の場合もどうようです。糸巻き穴を埋めて、再び空けるということは、どうしても楽器に無理を掛けてしまいます。長い間には嫌でも糸巻き穴を埋めて、空け直さなければならない修理は何度もあるものです。従って、その時のためにも、軽度の接触の場合には我慢して使い続けるというのも正しい使い方と思います。もちろん必要であれば、穴を埋めて空け直す修理をすべきでしょう。
 とにかく、技術者とじっくりと話し合い、納得できる結論を出すことが何よりも大切なことです。答えは一つではありませんから。

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