マイスターのQ&A

ドイツ・ヴァイオリン製作マイスター 佐々木朗

Q:ヴァイオリンの糸巻きはどうしてギターやコントラバスのような機械式ではないのですか?

A:これはとても興味深い質問です。この事に関しては、チューニングがまだ旨くできない初心者にとっては、特に疑問な事でしょう。というのは、ヴァイオリン族の楽器は、正しいチューニングができて初めて正しい音程が弾ける楽器だからです。従って、ヴァイオリンの初心者に限って言えば、糸巻きがギターのようにネジ式で、(初心者にとって)より正確なチューニングができた方が演奏の上達は早いはずなのです。
 しかし、ヴァイオリン族の糸巻きが機械式でないのにはきちんと理由があります。

ネジ式(機械式)糸巻きと摩擦式糸巻き
 機械式糸巻きには幾つかの種類がありますが、そのほとんどはウォームギアを利用したタイプです。この糸巻きの特徴は、強い張力の弦であっても、弦を微妙に巻き上げることができ、さらに弦がズルズルと緩んでしまうことが無いというものです。
 この「ウォームギア」はとても複雑な構造をしていますので、「ギア(歯車)」としてはかなり新しい部類に入ると思います。すなわち、このタイプの機械式糸巻きが実用的になったのも、比較的に新しいのです。すなわち、ヴァイオリンやギターの創世記には実用的な意味では存在しませんでした。
 一方、「摩擦式」糸巻きとは、とても原始的構造をしていて、弦を絡めた棒をただ単に差し込んで止めているだけのものです。これはヴァイオリン族だけではなく、バロックギターや三味線など、多くの楽器に見受けられます。
 この方式の糸巻きは、元々は単なる「製作の簡単さ」と「チューニングの簡単さ」から用いられたものだと思います。しかし、長年の経験と試行錯誤の中で、そのメリットも確実にあるという事もわかってきました。それが現在においても、この方式の糸巻きがヴァイオリン族に用いられている理由なのです。

様々な種類のコントラバス用糸巻き(写真はDick社カタログより)

機械式糸巻きのメリットとデメリット
 ここでは機械式糸巻きとは、ウォームギアを用いたタイプの糸巻きとしましょう。このタイプの糸巻きの特徴は、先にも述べましたように、強い張力の糸巻きでも、徐々に、すなわち微調整可能に巻き上げることができるということです。そして、その弦が大きく緩んでしまうこともありません。
 この特徴を持つ機械式糸巻きは、弦の張力の強いコントラバスにおいて真っ先に採用されました。というよりも、コントラバスの糸巻きにおける不具合の試行錯誤の中で取り入れられ、糸巻きとして完成されていったという方が正しいかもしれません。
 この機械式糸巻きは良いことばかりのように思うかもしれませんが、欠点もたくさんあります。まず最初に挙げられるのは、その重さです。その構造上、どうしても金属で作らなくてはならず、さらに摩擦式の糸巻きに比べて構造がとても複雑です。これはすなわちその部品点数が多くなり、製品の重さが大きくなってしまうということを意味しています。これはコントラバスのような大型楽器においては、その影響は許容範囲かもしれませんが、ヴァイオリンのような軽い楽器においては音響的に大きな影響を受けてしまいます。また、ヴァイオリンの演奏形態上、糸巻きの部分が重くなってしまうのは良いこととは言えないのです。ちなみに、重さを最小限にするために「セパレートタイプ」の機械式糸巻きを装着すると、今度は下で記すような「固定のトラブル」が発生しやすくなってしまいます。
 次に言えることは、ウォームギアのギア間、または各部品間での「遊び」の問題です。ギターと違ってヴァイオリンのように連続的に音を出し続ける楽器の場合、微妙な話ですが、この「遊び」が悪影響を及ぼしてしまう可能性があります。それは摩擦熱による音量・音質の低下や、チューニングの乱れです。
 もっとも、この話題は「原理的な悪影響」であって、ヴァイオリンに求める音質によっては、人によっては無視できる範囲のものでしょう。

 余談になりますが、以前、あるオーディオ雑誌で、クラシックギターの糸巻きを全てヴァイオリンのタイプに替えたら音質はどう変わるかという実験記事がありました。結論は「音質が良くなり、またチューニング的にも問題は無い」というものでした。私もその結論は予想できますが、それならばなぜ現代のクラシックギターが機械式の糸巻きにこだわるのか、ヴァイオリン製作者としての私には不思議です。

 さて、最後に挙げるデメリットは、機械式糸巻きの「固定」に関することです。機械式糸巻きは、その構造が複雑なために、トラブルも多くなります。場合によっては新しいものと交換したり、または修理の時に外すこともあります。この修理のたびに、楽器本体(糸倉側面)が傷んでしまう可能性が高いのです。これは「セパレートタイプ」の機械式糸巻きのほうが、固定箇所(ネジ)にかかる力が分散されないために、そういった意味での悪影響は大きいのです。
 事実、古いコントラバスの多くは、糸巻きの固定部分に大きなダメージを持っていることが多いです。というのは、長年の間には、装着する糸巻きのサイズが変わったり、またはタイプ(形)が変わったりするために、そのたびに楽器本体(糸倉の側面)に切削加工が施されてしまうからです。また、それを固定するネジの部分もあちこち変わるために、そのたびに穴が空けられたりしてしまうのです。そのような作業を繰り返す内に、せっかっくの綺麗な渦巻き(糸倉)の楽器であっても、見た目が台無しになってしまうのです。

 この他にも、ウォームギアを用いたタイプの糸巻のデメリットとして、「弦を素早く巻けない」というものもありますが、これをデメリットとして挙げるのはあまりにもわがまますぎるでしょう。
摩擦式糸巻きのメリットとデメリット
 「メリット」は先にも述べていますように、そのシンプルさです。これによって軽く、そして構造的な「遊び」が無いために、音響的に効率が良いのです。
 また、その構造のシンプルさは致命的なトラブルを最小限に抑え、良質な材料と技術で製作された糸巻きは100年近くも問題なく使用されることもあります。またこの構造の単純さは、長年に渡る楽器の修理の面でも大きなメリットをもっているのです。これは実際に古い楽器を修理していると、とても感心することです。
 次に挙げられるメリットは、チューニングの精度です。非常に調整が良くできていて、さらに技術のある演奏者においてという前提付きではありますが、摩擦式の糸巻きは非常に精度の高いチューニングが可能です。機械式のチューニングと「どちらが高精度か」という議論をするのはナンセンスですが、言えることは、「それらは一長一短で、どちらも高精度なチューニングは可能」という事です。
 その逆に「デメリット」は、初心者や調子の悪い楽器においては、まともなチューニング自体が不可能ということです。これは深刻な問題です。しかし、一時的にテールピース側にアジャスターを付けて解決するなどの方法もあります。
ヴァイオリンにおいて摩擦式糸巻きは不可欠か?
 私の結論では、摩擦式糸巻きは少々の欠点があったとしても、それを大きく上回るメリットが存在すると考えます。すなわち、現状のヴァイオリンの糸巻きのシンプルな構造は、ただ単に「原始的」なのではなく、「洗練された構造」とさえ言えるのです。事実、ヴァイオリンの糸巻きにおいても、これまでに様々なものが試されました。機械式糸巻きも存在しましたし、摩擦式にネジを加えた構造の糸巻きも存在しました(現在でも発売されていると思います)。しかし、結果的にそれらの中から生き残ってきたのが、現在のタイプの糸巻きだったのです。また、摩擦式糸巻きのテーパも、長年の試行錯誤のなかで決まってきたものなのです(昔のヴァイオリンのオリジナル糸巻きのテーパは様々です)。
 このように、ヴァイオリンの糸巻きのシンプルさは、試行錯誤の上で出来上がった、「非常に高度なシンプルさ」と言えると思います。

 しかし、ヴァイオリンにおいて摩擦式糸巻きが本領を発揮するためには、次の条件が必要です。

  ・良質な材料を用いて作られた糸巻き
  ・精度の高い糸巻きと糸巻き穴の加工技術。または調整技術。
  ・頻繁な調整
  ・ある程度高度なチューニング技術
  ・楽器種と弦の種類(例えば、張力の強いスチール弦)によっては、アジャスターを併用しなければならない。

 このような厳しい条件ではありますが、しかしその条件を満たしていれば、それ以上の「メリット」は確実にあるのです。現在チューニングで苦労している人も、もう少し頑張ってそれを乗り切ることにより、その苦労以上のメリットがきちんとあるということを理解してください。もっとも、その「メリット」とは、一般の人には気づきにくいものではあるのですが・・・。

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