マイスターのQ&A

2013年5月12日 ドイツ・ヴァイオリン製作マイスター 佐々木朗

Q:音を殺してしまう弾き方と、音を飛ばす弾き方の違いとは?

A: 先日ある方から、「私の先生に『同じ圧力で弾くのでも、音を殺してしまう弾き方と、音を飛ばす弾き方があるので、音を飛ばすように弾きなさい』と注意されたのですが、具体的に何が違うのでしょうか?」と質問されました。
 なるほど、そのような演奏上の表現はよく聞きますが、その違いが具体的(物理的)に何なのかは、そう言っている当の本人(演奏者)さえも知らないと思いますので、今回はその説明をしてみましょう。

 

弦と弓の馬毛との間に働く摩擦力と音

 さて、「摩擦力」が音に与える影響は皆さんも何となく理解していると思います。例えば「大きな摩擦力で弾くと、大きな音が出て、その逆に小さな摩擦力で弾くと小さな音が出る・・」という感覚です。しかし、今回の質問では「同じ圧力で弾くのでも・・」という前提があります。同じ圧力(摩擦力)で弾いて、なぜ「音を殺してしまう弾き方」と「音を飛ばす弾き方」という、違った音が出るのか?、という疑問なのです。

 

よくある、間違った理解

  よく、「音を殺してしまう弾き方とは、弦を弓で強く押さえているからなのだ」と言う人がいますが、それは根本的な理由ではありません。その証拠に、今回の質問では「同じ圧力で弾くのに・・」という条件が付いています。
 「弦を弓で強く押さえるから、音を殺してしまう」と勘違いしている人は、弦をソフトに弱く鳴らす事こそが音を飛ばす秘訣だと勘違いしています。しかし、そのような人の音は、物理的(音響的)に音量不足なので、音が遠くまで通らないのです。さらに、(本人はそうは思っていないのですが)基本的に小さな音を主として演奏しているので、音の強弱がなく、音楽の表現力がとても乏しくなってしまうのです。基本的にこのような間違った理解をしている人は、弓の実性能が低いのが根本的原因になっていることが多いのです。

 このように、弦を強く押さえつけて弾くこと自体が、「音を殺してしまう弾き方」というわけではありません。その証拠に、ppの音においても「音を殺してしまう弾き方」は存在します。もしも弦を大きな摩擦力で強く押さえて弾くこと自体が、音を殺す原因ならば、弦を弱く弾くppの音で「音を殺してしまう」という事が起きるのは矛盾するからです。

 

摩擦力の特徴と、その連続性

 それでは「音を殺してしまう弾き方と、音を飛ばす弾き方」の根本的な原因はどこにあるのか? その答えは、摩擦力の時間的変化、すなわち「摩擦力の連続性」にあります。摩擦力の特徴として、「静止摩擦係数」と「動摩擦係数」という二面性をもっていることがあげられます。中学校の理科の時間に習ったと思いますが、静止摩擦係数は大きくて、動摩擦係数は小さいのです。さらに判りやすく言えば、止まっている物体間に働く摩擦力はとても強いのに、一旦滑ってしまうと、ツルッと滑りやすくなってしまうという二面性を持っているのです。
例えば、自動車が高速で急コーナーをまわっているときには、タイヤと道路には大きなグリップ力(摩擦力)が働いているので、自動車はスムーズにコーナーを走ることができます。しかし何らかの原因で一旦グリップ力が失われると、摩擦力は急激に低下して自動車はスピンしてしまうことでしょう(よくカーレースで見かける光景です)。さらに、一旦グリップ力(摩擦力)を失ってしまった自動車は、そのグリップ力(摩擦力)を急に回復することは困難なのです。グリップ力を回復するためには、スピンをどうにか制御してスピードを減速して、グリップ力を再び回復するしかないのです。

話が自動車の話になってしまいましたが、すなわち「摩擦力は一旦失ってしまうと、瞬間的に回復することは不可能」ということが言えるのです。これはそのまま弦楽器の演奏にもあてはまります。

 

弦楽器における摩擦の仕組み

 次のグラフは馬毛が弦に与える摩擦力を時間軸でグラフ化したものです。あくまでも動作を簡略的に説明するためのイメージ図なので、具体的な測定グラフではないということをご了承ください。
 ボウイングという操作によって、弓は弦を連続的に、途切れることなく擦り続けているように感じますが、実はごく短い時間ごとに弦が滑っているのです。別な言い方をすると、弦を「ペン・ペン・ペン…」とはじいているとも言えます。「チ・チ・チ・チ・チ…」とはじいていると表現した方があっているでしょうか?
 このような弦への駆動(加振)は物理的に言うところの矩形波に近い波形を生み、それからは倍音成分がとても高い倍音まで出るのが特徴です。いわゆるヴァイオリンらしい音はこのような発音の仕組みから生まれます。

 上のグラフを拡大して観察すると、弦を連続的に擦っている部分、すなわち大きな摩擦力を連続的に加えている部分がわかると思います。この部分こそ、理想的な弦の駆動(加振)であり、性能の良い弓と正しいボウイングによって初めて実現できるのです。

 

 

 

 上グラフは腰の弱いフニャフニャした弓を使ったり、またはその弓で練習することによる実害の「弓竿の震え」等によって、摩擦力が不連続になっているグラフです(注:あくまでも説明するためのイメージ図ですので、実際に測定したグラフではありません)。
弦への摩擦が一定ではないので、摩擦力自体が小さく、さらに弦を擦る(引っ張る)時間も短いため、楽器から出る音量は小さくなるはずです。 このような駆動を行った楽器の音は、先のような理想的な矩形波ではなく、もっと角が丸くなった音、すなわち高倍音の出ないソフトな音となってしまうことでしょう。
 蛇足になりますが、弓竿の腰がとても弱いフニャフニャな弓をとても高い値段で買ってきて、「さすがオールド弓のソフトな音!」と自慢している人が多いのですが、それは弓の性能の低さから自然と出てくる、物理現象なのです。いわゆる、その弓の物理的限界です。ちなみに、本当に素晴らしいオールド弓は、細いのにビシッとした弓の腰を持っています。もっとも、そんな素晴らしいオールド弓は、市場にそう出回るわけがないのです。

 

結論とまとめ

 なぜ同じ圧力で弾いても、「音を殺してしまう弾き方」と「音を飛ばす弾き方」という、違った音が出るのか? その答えは先のグラフでも説明しましたように、「摩擦力の連続性」にあります。「圧力を連続的にかける」とか「弓がぶれないようにボウイングする」とか、一見演奏技法の問題のように感じるかもしれませんが、実はその答えはもっと根本的な部分、すなわち物理的な部分にあるわけです。
 これまでに私はたくさんの場所で「弓の性能の重要性」を説いてきましたが、今回の質問も「摩擦力の連続性の有無」が直接的な答えではありますが、その根底となるものはやはり「弓の性能とそれに伴って生じる奏法の差」なのです。詳しいことは私がこれまでに書いたQ&Aや技術レポートを全て読んでもらうしかないのですが、その一例として、まずは「Q&A No.169. 良質な弓を購入することの勧め~弓の選び方の実際」や「Q&A No185. 弓は力を抜いて弾くべきなのですか?それとも圧力をかけて弾くべきなのですか?」等を読んでみてください。

 最後にもう一度わかりやすく、今回の答えを書いてみましょう。

音を殺してしまう弾き方とは
 弓竿の腰の弱い、性能の低い弓を使っていると、「ふすまに寄りかかるような奏法」を追求してしまいます。このような「弓に圧力をかけないように努力する奏法」だと、どうしても弓をコントロールしてしまいます。「コントロール」と言うと、一見良いことのように思われるかもしれませんが、実際には弓を強制的に動かしているのです。すなわち、弓が振るえ、結果的に摩擦力に不連続さが生まれてしまいます。この「摩擦力の不連続さ」が、「音を殺してしまう」ということなのです。

音を飛ばす弾き方とは
 一方、「音を飛ばす弾き方」とは、「音を殺さない弾き方」のことです。連続した摩擦力をかけ続けることによって、物理的(音響的)に音が出ます。その上、その出た音は、無駄の無い連続的な(かすれていない)音なので、遠くまで届くことが出来ます。ppの音であっても、音に芯があるので(かすれていないので)遠くまで届くのです。もちろん「無駄の無い連続的な…」という音は、雑音感の無い音であるということでもあります。美しい高倍音が出ているというのも、遠くまで音が届きやすい要因です。

 このように、演奏技法上の微妙な感覚的な内容も、その全てに物理的な原因があるのです。そして物理的に説明できるということは、すなわち直ぐに解決策が見つかるということでもあります。

 

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